前立腺がん川柳

第十一回 受賞作品

第十一回のテーマは、母の日にちなんで「母・妻」でした。

5月第2日曜日「母の日」の由来

1900年代のアメリカ。優れた社会運動家であったアン・ジャービスが亡くなり、娘のアンナ・ジャービスが母の追悼式(この日が5月の第2日曜日でした)で白いカーネーションを配ったことが、アメリカの母の日の起源とされています。
アンナはすべての母親の社会に対する貢献を讃えて「母の日」を祝日にする活動をし、1914年にアメリカの祝日に制定されました。
日本では戦後しばらくして、アメリカに倣って5月の第2日曜日を母の日として祝う習慣が広まりました。また、 1937年に森永製菓が母の日を宣伝し、全国的に広まり始めたとも言われています。

第十一回 前立腺がん川柳 大賞(1名)

第十一回 前立腺がん川柳 大賞
さんげつ堂 様

第十一回 前立腺がん川柳 優秀賞(3名)

  • 第十一回 前立腺がん川柳 優秀賞
    不肖の息子 様
  • 第十一回 前立腺がん川柳 優秀賞
    港の男児 様
  • 第十一回 前立腺がん川柳 優秀賞
    ノンキホーテ 様

受賞まであと1歩の作品

妻の笑み こころに灯し がん治療
山月堂 様
検査から 帰ると妻の 酌が待ち
港の男児 様
ガンよりも 付き合い長い 妻強し
りこ 様
我が身より 妻のご機嫌 気にしてる
りこ 様
人生の谷でこそ知る愛がある
春風太郎 様
見舞い来る 母は小さく 丸くなり
あきちゃん 様
くじけない妻が心の杖となり
準菜 様
病状は語らず夢を語る妻
準菜 様
宣告も 妻の笑顔で 闘志わく
老虫 様
姑と 嫁に挟まれ 検診へ
mautac 様
本当に苦しい時の母頼み
舞子之介 様
経過見る 看視カメラに 母がなる
六輪車 様
退院の 喜びを盛る 妻の皿
かわちゃん様
見込みない医師の言葉で泣き崩れ
がんもどき様
ちちんぷい 母の魔法は 今も効く
haji 様
弱っても何かと妻の助け舟
こっぺぱん 様

その他の応募作品

熱ないか つらいか痛いか 母メール
かわちゃん 様
お見舞いは 母の手作り お惣菜
かわちゃん 様
女房に 一喝されて PSA
mautac 様
むつかしい 顔で見舞いに 母が来る
かわちゃん 様
母さんと トイレを競う 歳になり
山月堂 様
がんに克ち 母へと急ぐ ETC
山月堂 様
がん治療 気丈な妻と タグを組む
山月堂 様
がん治し 亡母さんの歳 越える希望(ゆめ)
mautac 様
PSA 妻はマンモを 追加でグー!
ラジオネームせんせい 様
麻酔から 覚めたら妻が 高いびき
ラジオネームせんせい 様
母が言う 私も受けよか 前立線
ラジオネームせんせい 様
おふくろの 趣味は親父の 笑み集め
六輪車 様
母の糧 親父の治癒と 長生きと
六輪車 様
かあさんが いたからここまで 頑張れた
老虫 様
この先も 一緒に生きよう ガンと妻
りこ 様
病床に明日への花を妻咲かせ
準菜 様
おふくろの味が迎える退院日
準菜 様
お見舞いの母の衣服で季節知り
準菜 様
闘病へ妻の笑顔の助け船
準菜 様
母のそば よりも遠いほど ありがとう
セイイチ 様
病気なり 初めて伝えた 感謝の気持ち
hiroaki 様
愛妻と 一緒に治療し 回復中
hiroaki 様
病床の 母がわたしへ 鶴を折る
港の男児 様
来年も 必ず贈るよ カーネーション
りこ 様
一番の 特効薬は 母の声
りこ 様
病床に妻の背中が温かい
舞子之介 様
人生の二人三脚妻と行く
舞子之介 様
感謝の手紙の文面ラブレター
春風太郎 様
こんな時でもなきゃ告げられぬ「愛してる」
春風太郎 様
感謝の手紙を装いラブレター
春風太郎 様

前立腺がんと暮らす